まず、母が言っていた「西方浄土」。
これは正確には西方極楽浄土と言い、簡単に言えば阿弥陀如来がおわす世界なのだそうです。
(“極楽”“浄土”をイコール天国と思っていたエメ太郎、ここで漠然とそう思っていた考えがまったく違うことに気づきますが、長くなる上に「方角」の話からは大きく外れてしまうのでここでは割愛します)
では、母の言うように浄土は西にしかないものなのか、と申しますとこれがまた大間違い。
(つーか、我々親子が無知だっただけの話なのですがw)
薬師如来の東方浄瑠璃世界、同じく東方におわす阿閦如来の東方妙喜世界。
南は観世音菩薩の補怛落迦(山?)、また釈迦如来におかれては我々の住んでいる世界(娑婆)におわすとともに十方(東西南北+上下+東西南北それぞれの間の4方向=あわせて十方角)におられるということで、世界中どこを向いてもその方角に仏の世界(浄土)があるという、非常にありがたいことがわかりました。
まぁ、この浄土もそれぞれに序列があるようですが、そこまでは今のエメ太郎では理解できずここまでで断念Orz
(これは大乗仏教的な解釈だと思いますが、どなたかお詳しい方、ご教示いただければ幸いです。また、ここに記載した内容に間違いがございましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます<(_ _)> )
ちなみに釈迦如来は過去・現在・未来(三世)の仏様でもあるとのことです。
十方三世の仏。
……なんとなく親近感を覚えたのはエメ太郎だけでしょうか(単純w)。
さてさて、全方向において仏の世界があるということで、我が母言うところの
「 西 = 和 洋 共 通 の 極 楽 世 界!(゜Д゜)」
という説は完全に否定されたことになります。
仏教世界においては西に限らず浄土があるわけですから。
そもそも洋(欧州)においての「西」とは同じ生からの脱却を指すとしても、不吉な死を指すものであって、極楽へ行く死と同義であったとは考えられません。
では、キリスト教においての西とは何か?
キリスト教においては「東」はイエス・キリストを指す方角であります。
なんで東?
……と言われると、私も頭をひねってしまうのですが、物心ついたときからなぜかそういう意識があったので説明しようがなかったりします。ので、新約・旧約両聖書をひっくり返したり、今まで溜めてきたオタクと紙一重な資料をひっくり返したんですが明確な答えが見つかりません。
ちなみに、輝けるキリストの「東」に反して「西」は衰退や死を表します。
ゆえに、グニェズドヴォへ連れて行かれたポーランド将兵たちも、そういった意識で死を覚悟したのでしょうか?
うーん。弱い。
論拠として弱いですね。
スラングとして広まっていたわけですから、なにか「コレ」といった理由があるはずなのですよ。
もうあとは「東」が良くて「西」が悪い、って言ったら太陽の昇降くらいしか考え付かないんですがwww
……地球の裏側行ったって太陽が西から昇って東へ沈む、なんてこたないのでw
(あとは陰陽道?w 北と西は陰、東と南は陽、くらいの知識しかありませんがw)
ここで行き詰ったエメ太郎。
生まれたときからクリスチャンをしている高校のときの同級生
Fに電話して尋ねてみたのですが、
「私だってそんなに詳しく勉強してるわけじゃないからわからないよw」
とのことで、がっくしOrz
が、
Fいわく「太陽が昇る東をキリストの象徴としているっていうのはあるよ」とのこと。
やった!(゚∀゚)
私のあてずっぽうも時には当たってたりするんじゃん!(笑)
詳細のあるホームページを
Fから紹介してもらうと、そこには下記のような記述が。
(……ここのページがまた興味深い記事が多いこと多いことw 電話のあと時間をかけて読みふけった挙句、興味が色んなところに脱線して、すごい時間ネットサーフィンしてしまうことに……Orz 記事のアップがまた遅れたじゃないかっw どうしてくれるんだ
F!(……人のせいにするなよ))
以下、引用。
基本方位(東、西、南、北)のシンボル。
ヨーロッパの教会は十字架の形をする。この基本方位(東、西、南、北)は 命の由来のシンボルである。
北:寒さ、飢饉と夜を示す方角であり、初期キリスト教時代には異邦人の蛮人の住居とされた。故に、教会の祭壇の北端で福音が読まれる時は異教徒を改宗させようとする教会の願いを表す。また、南がキリストの出現後の福音の世界を示すのに対し、北は旧約の世界である。北は教会の福音宣教のシンボルである。
東:東は太陽の昇る方位であり、それゆえ正義の太陽としてのキリストのシンボルとなる。初代教会時代から、洗礼式は必ず東に向かって行なわれている。また、8世紀以来、全ての教会はエルサレムに向けて建てられ、聖堂は主祭壇を置く内陣を東に向けて作られることが慣列となった。ただし位地条件などから例外もある。東は誕生や改心、刷新と生まれ変わることを示し、更に、キリストにおける信仰のシンボルである。
西:太陽の沈む方角で暗黒の地、悪魔の住居であり、老化と,死をも表す。西は、結局見知らぬ世界の神秘を意味する。しかしながら、教会の「バラ形の窓」は復活と命の光を示して、西向きに設置される。従って、西は死に対するキリストの勝利と復活への希望のシンボルである。
南:光と暖かさの所在する場所であり、収穫と豊かさ、喜びと祝祭につながっている。そのために旧約と新約聖書、特に使徒たちの手紙が読まれる時、福音宣教の実りと豊穣を意味する。従って、南は美徳を表し、特に愛徳のシンボルである。
渡来人研究会(http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/)の古代史掲示板より抜粋
※該当管理者より要請があった場合、この引用部位は速やかに削除いたします。
ということで、やはり「西へ行く」=「死」の根拠は日没のシンボルによる、という結論に一度はなったのですが。
よくよく調べてみるとこのスラングは、第二次はおろか、第一次世界大戦以前から欧州に存在していたスラングであることが判明。それも、必ずしも宗教に関連するものではないらしいんですよね。
参った Orz
もうお手上げですよカーチャン。
……というところに、往々にして救いの手は差し伸べられるもので。
(○西先生「諦めたらそこで試合終了ですよ……」 (´・ω・`)センセイ、バスケガシタty,グフッ……)
気晴らしにひょいっと見たネイティヴ・アメリカンと白人との闘争史の中に答えのひとつがありました。
「Go West」
1854年に一山当てようと大挙して押し寄せる白人の横暴な振る舞いに対して、コマンチ族、アパッチ族、クロウ族、シャイアン族、 アラパホ族他ネィティヴ・アメリカンの主だった部族が同盟を締結。
これによってこの言葉は白人にとって「死にに行く」という意味を持つことになったのです。
※これは1848年カルフォルニア州に金が発見されたことによります。
さらにさらに時は大航海時代に遡り、イギリスに「タイバーンツリー」という絞首台が設置された処刑場があったことがわかります。
場所が西ロンドンにあったことから盗賊等の犯罪者の間では、これを指して「西へ行く」=「刑場に連行される」=「死」というスラングが生まれたようです。
ポーランドの場合はおそらく後者のタイバーンツリーが広まった結果なんじゃないかな~、と想像するわけですが、これにてエメ太郎の中で一応の決着はついたわけです。
あー、すっきり。
………………でもちょっと疲れたwww (ノ_ _)ノ
無論、ここに書いたことが正しいという保障はありません。
今後もこれに関連したものについてはアンテナを張り巡らせて個人的な好奇心を満たしていくつもりではありますが、これをお読みになった方の中で何か情報をお持ちの方、また「おーい、ここ間違ってるぞー」というツッコミを入れてくださる方、いらっしゃいましたら
大 歓 迎 ですので、ぜひぜひ色々と教えてくださいまし<(_ _)> 。
さて、かーちゃんとこ行ってこの四方山話披露してきまっす!w
(「西へ行く? それってなんだっけ?」って忘れ去ってそうな気もしますが……www)
PR