うーわー……。
なんとまぁ、前回の記事に関して皆様の反応が……長期間放置してたブログに対するものと思えないくらい高速で、びっくらしてます。
良い方向に予想が裏切られた感が満載(笑)。
昨晩、首にとある件で相談がてら連絡したんですが、そこで「もうあんたんとこのブログ結構コメントついてるよ」とツッコミ入れられてしまいましたよ。
放置してても皆さんそれなりにこのブログ巡回しててくれたのかな。
だとするとまぁ、別の意味で申し訳ない……というか「こんな僻地のブログまでお運びいただいてありがとうございます<(_ _)> 」の一言に尽きます。
今後もできるだけ精進したいと思います。
さて昨年から引き続き、業界の大物の訃報が続いております。
エメ太郎は古い映画やらテレビ番組が好きだったので、当然のように好きな役者やアイドル(?)も年配の方になってしまい、同年代の友人知人に「ジジババ専……」とドン引かれたりするのですが、浴びせられる怪訝な視線に屈せず、「高倉健さん好き! (故)大原麗子さん激ラブ! 三国のとっつぁん(三国連太郎)、仲代のとっつぁん(仲代達也)スッキー!(その他大勢数え上げたらきりがなし……」と声高らかに宣言していたのですが……
すでに周知の通り、エメ太郎が愛する「とっつぁん」のひとり、三国連太郎さんが14日に逝ってしまわれました……Orz 享年90歳。
お年がお年だっただけに、勘三郎さんのときほどショックは受けていませんが、ひとり、またひとりと、自分が愛し、現在の自分を形作る一因となった「憧れ」や「尊敬」の対象が失われていく寂しさはなんとも表現のしようがありません。
家庭人としては賛否両論あると思いますが、俳優としては「素晴らしい」などという陳腐な一言では語れないほど大きく、独特の人生観を持った人でした。
外見の美しさ
(若い頃のとっつぁんを知らない人は、デビュー作の「善魔」、50年代撮影の「ビルマの竪琴」を見るがいい!)だけでなく、俳優としてスカウトされる前に体験した戦争、部落
(……といって今の若い人にわかるかな;)出身であることを自ら明かし、積極的に差別問題に取り組むなど、エメ太郎から見て「押し付けがましくない、けれど芯の通った信念の人」でした。
※部落がわからない人はいい機会なので調べてみてくれると嬉しいです。
今の日本には階級などの差別はないと思う人が多いと思いますが、西の方には未だにこれによる風潮が残っています。 「戒名は要らない。散骨してほしい。骨になるまで誰にも知らせるな」
(H.25.4.16「朝日新聞」より)
息子・佐藤浩市に生前からこう言っていたという三国のとっつぁん。
富や賞、肩書きに固執せず、ただの役者として生きた孤高の人。
その生き方の通り、最後まで「三国連太郎」としてこの世に別れを告げた姿勢に、ただただ敬意を払うのみです。
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