はーい、「なぜここで三島大社?」(´・ω・`) と思った人、挙手(笑)。
まぁ、エメ太郎はこれまで三島とのご縁をここに書いたことはありませんので、ほとんどの人が手を挙げるだろうと思います。
下手をするとこれから書くことで「太郎は神道の人なのね」と思われるかもしれませんが、そうではないので誤解なきようお願いいたします。
エメ太郎の「宗教」に対するスタンスは4/15の記事
「ただいま!」にも書いたように、
「すべての宗教を肯定し、またすべての宗教を否定する」であります。
んー……否定、ってのもちょっと違うのかな。
なんと言いましょうか「この神様が絶対、それ以外は認めない」という考えではない、「みんないると受け止めてもいいじゃない」という感じです。
真面目に信心なさってる方々からしたら、私のような人種はさぞ罰当たりな存在なんだろうなぁ; その辺の自覚はあるので、こうしたことはあまりリアルでは公言しておりませんが(-_-;)
そんなエメ太郎ですが、ご縁を感じたり、ピンときた事象(虫の知らせ?)については大切に受け止めることにしています。
第六感とかそういうオカルトちっくな話ではないんですが、ふっと気になることがあって外出をしたらそれが良い結果につながったとか
(もちろんその逆もあったり)、先日も1~2年近く連絡を取ってない友人のことが気になって連絡してみたら「第二子出産の陣痛中~♪」と返信が来てビックラさせられたり。
まぁ、ここを見てる皆さんにもそういうことは多々あると思います。
S、陣痛中にごめんよ……。(あ、今はYか) ってか、激痛だったろうに通話はもちろん、その後のメール返信の早さとか、いくら2回目でも余裕ありすぎだろう!(笑) でも無事の出産おめでとう。お祝いなに送ろうかな……♪ さて、三島大社の話に戻ります。
前の会社
(出版社)での話になりますが、エメ太郎は編集枠で採用されたにも関わらず、イロイロ
(苦笑)あって入社2年目を待たず営業をさせられることとなりました。
(自分に不向きな業種だと自覚はあったので、すんげーイヤでした。……やったけどさ(号泣)) 当初は東京(全域)、神奈川県西部地域が担当でした。
営業先は公的機関とだけいっておきますが、当時東京は営業激戦区で
(たぶん今も)、神奈川の西部は電車
(もちろん快速特急使用)に乗っているだけでも1時間はかかるような場所
(+α徒歩)が多く、交通の便が悪いところばかりでした。……言い方は悪いですが僻地ですよ、僻地。
ちなみに交通の便がいい東部地域は社長の覚えがめでたいイエスマン君が担当してました^^^^^
イロイロ
(笑)の結果ですから、この辺の扱いの差異は仕方ないですね^^^^^^^^^^
ところが、ありがたいことに何故かこの東京都と神奈川県西部での営業成績がジワジワ好転していき、既存の顧客のみならず新規顧客を得るまでになりました。単純なもので、仕事がうまく運ぶと苦手だった「営業」も楽しくこなせるようになり
(苦手な客は最後まで苦手で、損益出したりしたけどネー)、社長もイロイロを心の引き出しにしまってくれたのか、営業結果を評価してくれました。
(余談:時々その「引き出し」は開いて八つ当たりされましたw) 評価の結果、制作(編集関係)の仕事にもまた関われるようになったのですが、営業先も追加になりましたwww
追加先:千葉県(全域)、静岡県(全域)、愛知県(名古屋市内16区)、栃木県(栃木市、宇都宮市2区)
追加決定を受けた時のエメ太郎の感想 ↓
(#゜Д゜) 死ぬわ!! うん、営業一本だけだったらやれたと思うんdeathけどネ……制作の仕事は主として社内で行うものなんですよ。
もう外勤と内勤のバランスとるのが大変でした。シャチョーの目には私が何人に見えていたんでしょう……正直あのころは仕事にやりがいがありましたが、
「自分がもう3人欲しい! 【紙兵】【持っていますか?】【ください】」状態でした。
それでも 回 っ た け ど な !
そんな中で不思議と人の縁に恵まれて、他県に比べてとんとん拍子に仕事が進み、顧客がついていったのが静岡でした。
初出張からすごくいい滑り出しで、いきなり偉い人に紹介してもらえたり
(普通は根回ししないと無理)、大きな仕事を任せてもらえたり。会う人会う人とても良い人ばかりで
「静岡には悪い人いないんじゃないか?」と思ったくらいです。
今でも、もし自分が他県に引っ越さなければならなくて、好きなところを選べと言われたら「静岡!」と即答できるくらい静岡には親近感を持っています。
そして住むなら三島か富士に住みたい……。 最初は静岡市、清水市(現:静岡市清水区)を中心に始めた静岡営業。
上述したように仕事が好転していくと出張範囲が広がり、西部&東部にも足を運ぶようになりました。
静岡東部出張の時は中部、西部に比べて時間的に余裕があったので、エメ太郎は初出張の時から「三島大社にも行こう」と決めていて、それ以降も三島に降りるたび詣でて仕事がうまくいくよう願ったり
(ご祭神が大山祇命[おおやまつみのみこと]、積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]=恵比寿様ですからね!)、悩んでいるときに「おみくじ」でアドバイスをもらったりしていました。
たかが「おみくじ」、されど「おみくじ」。
盲目的にすべてその通り! というわけではありませんが、結構参考になったりしたんですよ、これが。
その後、会社の状況が色々な意味で下降気味になり、私の体も変調をきたすようになったころ、私が担当していた営業先は、静岡も含めて他の人が担当することになり、私は制作に専念することになる……と思いきや、世の中そんなに甘くはなく、別分野の営業と事務(総務?)の追加が待ち構えており(笑)、少人数の会社の悲しさで引き継ぎも満足にできないまま、エメ太郎は三島の地を踏むことができなくなってしまったのでした。
そして、休職を経て退職。
退職後もなんとなく静岡のことは気にかかっていました。
急な担当変更だったとはいえ、中途半端で終わってしまったこと、お世話になった方々に直接挨拶できないまま、結果的に会えなくなってしまったこと。
あとは仕事がうまくいくようお願いするだけしておいて、三島大社にきちんとお礼参りができていなかったことetc.
エメ太郎も人的努力はそれなりにしたと思っていますが、静岡での営業成績は他の都道府県とはずば抜けて良好だったので、そこはやはり天の配剤的なものがあったのではないかと、常々感じていました。
さらにその後、これには本当に驚いたのですが、自分に静岡(しかも三島)の血が流れていることがわかり
(詳細は長くなるので割愛しますが、母方の曽祖父・曾祖母がともに三島出身)、そこで自分の中のなにかがカチリとはまるのを感じました。
前述の「ピンときた」というやつですね(笑)。
「ああ、やっぱりご縁があるんだ」と思いました。
そこからずっと、落ち着いたら吉日を選んで三島へ行こうと思ってきたのですが、なかなか実現しませんでした。……ついダラダラしてしまったり、就職活動準備の手続きでバタバタしたり。行くぞ、と選んだ吉日がドンピシャ台風だったり(笑)。
ようやく三島に行けたのは今月上旬でした。
実を言えば、その日も台風でありました。
「行くならきちんとご挨拶(お礼参り)したい」と考えていたので、エメ太郎はそれまで日時、天候をこだわっていました。
が、その日の予報も雨。
その前に予定していた日もひどい風雨だったので諦めたのですが、決行を決めた日は
「雨でもいい、思い立ったが吉日だ」と思い家を出ました。
……といいつつ、家を出るギリギリまで天気予報図や日本気象協会のサイト(細かい情報や、ブログに利用できる公開データがアップされていたり、なかなかお役立ちです)とにらめっこしてたんですけどね(笑)。 予報通りであれば、私が選んだ日時は雨。
……良くて曇り、時々雨だったのですが、なんと三島に近づくにつれて空が明るくなっていくではありませんか。
それまで行こうと思った日が2~3度
(天気やダラダラだけのせいではなく)流れていたので、これはもしや三島大社からの「エメ太郎参拝禁止」のサインなのではないかと不安だったのですが、晴れ間が覗く回数が増えるつれて、歓迎されてないわけじゃないなとの確信を得ました。
この小心者め、と思われる方もいるかもですが、エメ太郎、日ごろ不信心でも縁起は担ぐ方なんですよー^^;
三島駅に着くころには天気は晴れ、三島大社の鳥居の前まで来たときには空は美しい青に、日差しは強く燦々と降り注いでいました。
おかげでエメ太郎の心の中もすっきり晴れ晴れとして、気持ちよく参拝することができました。
静岡での仕事を含む、在職時の仕事の成果に対してのお礼。
退職したことの報告と、お礼が遅くなってしまったことのお詫び。
これからまた職を探すこと、そのための準備をする報告……というか決意表明?
(「良い職場を探します!」みたいな) だいたい上記のことを念じながらお参りを済ませ、その後に
「また今後についてのアドバイスをもらおう」と思って「おみくじ」をひきました。
が、内容を見て、エメ太郎は硬直しました。
( ゚Д|゚д゚)っ|゚)<末吉だよ。
仕事関係はちょっとSTOP!! 今なにをやってもうまくいかないよ。
横やりや不測の事態がおこるからね?
病気は甘く見ないように。
とりあえず今はじっと我慢の子。努力して待ってればなんとか実を結ぶから。まぁ頑張って!
( ゚Д|゚)Σピシャッ!
by.おみくじ ……だいたいこんな内容でした。
今までも何度か「おみくじ」をひきましたが、たとえ大吉をひいても大吉と思えない内容(注意事項)が書いてあったり、末吉でも意外に良い兆候が示されていたりしたので、引いた結果が末吉でも、それ自体は別に気にはならなかったんですが……
むしろその時は何度も内容を読み返した後で、やっと「おみくじ」のランク(末吉)に気づいたくらいでした(苦笑)。 問題はランクじゃなくて、内容。Orz
タイミング的にここまで悪い内容をひいたことがない……w
この日の時点で
「就職活動準備のための準備」はすべて整って、行政からのGOサイン(認可)も出ていたので、エメ太郎の中では
「さぁやるぞ!」という気が満々だったんですよね。
これまでは悪いことが書いてあっても、注意点として頭の隅に留めるのみとして、良い部分だけを読み取って前向きに捉え、良い結果につなげるようにしていたのですが、この日の「アドバイス」は良いところがまったく見当たりませんでしたwww
無理に良いところを見つけるとしたら「未来はなんとかなるかも?
(待っていれば実を結ぶ)」というような部分でしょうか。
あまりにも(´・ω・`) な内容だったので、その「おみくじ」は境内の結びどころに結んできました。エメ太郎、めったに結びどころのお世話になることないんですけど……;
「こりゃなにかくる(当たる)な……」 と感じました。
が、なにが来るのかはわからないので、あまり気にせず、その日は出張の時には見られなかった展示や、その他の行ってみたかった場所を回って、無職ならではの自由時間を楽しみました。
楽しみすぎて自分の体力を失念し、翌日に少々反省する事態になりましたが。まぁ、大事には至らなかったので良しとしましょうw そして
「なにか」は思わぬところからやってきました。
いくら縁起を担ぐタチだといっても、時間は日々流れていき、地道にでも人間は現実的に生活せねばなりません。なのでエメ太郎は「おみくじ」のことは頭の隅に置きつつ、就職活動ができるような体力づくり、適性チェックや傾向チェック、支援スタッフを交えた失業者同士のグループディスカッション等の就職支援を受けて、準備活動を開始していました。
ただ、最初はちょっと張り切りすぎたかもしれません。
中旬ごろに体調が崩れ、せっかく慣れ始めた準備活動(支援機関)に1週間ほど参加できなくなってしまいました。
「あー、これが病は甘く見るな、ってやつかな; おみくじが注意してたのはこのことだろう」と思い、2~3日休めば収まるだろうところを、大事を取って1週間休むことにしたのですが……
(これで済むと思ってました)。
「不測の事態」って、本当に予測できないから「不測の事態」っていうんですよネー(棒読)。
今回の就職支援を受けるにあたり、エメ太郎にはちょっとした持病があったのでそれを行政と支援機関に申告する必要がありました。黙っていて問題
(発作とか)起こしたりしたら、お世話になる支援機関にも迷惑ですからね;
(去年のヴァナフェスでも、それでちえさん&るいさんに大迷惑をかけてしまったわけで……本当に申し訳なかったなと今でも反省しております。……あ、首もゴメンネー) そんなわけで支援機関側からも、確認のために「お医者さんから病気についての説明書いてきてもらってくださいね」と主治医に渡す書類を持たされたのですが、嵐の始まりはここからでした。(-"-)
結論から書くと、主治医の記入が終わった書類を支援機関に提出したその日、「エメ太郎さんちょっと……」と呼び出しを受け、下記の事態を知らされました。
「エメ太郎さんに申告いただいた病名と、今回いただいた書類(主治医の診断書)の病名が違っているんですが、これはどういうことでしょう?」 エメ太郎 「え? ………ええええ、え?!」
ガ━━ΣΣ(゚Д゚;)━━ン!! ……もうね、ほんとにビックリしましたよ;
(というかショックでした) 「どういうことでしょう?」って言われても、逆に私が聞きたいくらいで、なにが起こっているのか把握するのに数分を要しました。
その場で主治医がどんな病名を書いたのか確認しようにも、支援機関の方では
「現時点で主治医の許可なく私どもの方から病名をご本人にお伝えすることはできません」と言われてしまうし
(後から冷静になって考えればそれは当然のことだったんですが)、私は私でその日まで主治医から病名(病状?)の変化についてなにも聞かされてなかったので、話し合いができる状態ではありませんでした。
双方ともに戸惑う中、とりあえずエメ太郎が現状を確認・把握することが先だ、ということになりその日は帰宅と相成ったのでありますが……もうその日から主治医と話すまでが不安の嵐、嵐、嵐。
と、いうのも新たな病名如何によっては利用しようと思った支援機関が利用できなくなる可能性があること、また行政から認可されているその他のサービスが受けられなくなってしまうかもしれない、という危惧があったからです。
幸い、早い段階で主治医の予約が取れたので、自分の中の嵐に翻弄される時間は50時間くらいで済んだのですが、主治医と話したら話したでまたもや大ショックを受けることになってしまいました(泣笑)。
病名の違いについては……まぁ肺の病気でたとえるなら
「結核だと思って治療を受けていたら肺がんの疑いがあってね? でも同じ肺の病気だから無問題」(いや、実際そうだったら問題大アリなんですが、あくまでたとえです、たとえ)みたいな感じで病気のカテゴリとしては、ほぼ同じだったのですが、エメ太郎としては把握していたもの
(持病)に新たに合併していたものがあったこと自体ショックでした。
ちなみに今回主治医が本人であるエメ太郎にそれを知らせず、診断書に準ずる書類に現状の病名を記入した件については、まだ
「疑い」であったこと、またその段階で患者
(エメ太郎)にそれを知らせることにメリットがなかったから、だそうです。
で、その
「疑い」なんですが……
本日晴れて確定となりましたwwwww もう、ね。
泣けばいいんだか、笑えばいいんだか、気分は
( ̄  ̄ )モウシラネ って感じですwww
いや、投げちゃいけないんですけど。
しかし、やはり今回の合併症(といっていいのかな?)がわかったことで、通おうとしていた支援機関とは別の機関を利用した方が良い、ということになりそうです。
そうするとまた区役所との相談から始めることになるので、本当にその合併症があるのか、念のため他の病院で確定診断を受けることになっています。
でも、まぁ……確定だろうなぁ……Orz
なお私の病気についてですが、たとえに出したような生死にかかわるものではありません。そりゃ放置してれば大事に至る(?)かもしれませんが、それはなんにでも言えることですし、自分で気をつけていればフツーに生活していけるレベルのものですので大丈夫です
(と思いたいw)。
逆にそこまで深刻だったら後々のこと考えてこのブログ閉鎖してます(笑)。
で、ここまでダラダラ長文書いてなにが言いたかったかと言いますと……
アドバイス(おみくじ)侮りがたし! いや、これまでも営業時の参考にさせてもらったり、アドバイス内容を心に留めて行動していたら良い結果につながったとか、かなりご利益はいただいていたのですが、よもやここまで当たるとは!
実を言うと、通おうとしていた支援機関に慣れてきたら、ハローワークでの就職活動も同時進行させよう、うまくいけば年内には慣れるだろう、なんて甘っちょろい見通しをたてていたので……本当になにもかもが白紙に近い状態に戻った今、あのままそれを進めてていたとしてもうまく運ばなかったろうと思います;
就職の決まったふつさんに
(おめでとう!)連絡をもらった時、ほぼ三島にいった後だったので「ちょっと“待った”がかかっちゃったよ」といった内容を返信したんですが……本当に天からの「待った」になってしまいました(笑)。
やはりエメ太郎と三島はご縁が深いようです。
またピンとくることが来たらアドバイスもらいに行こう……。
※10/31 12:16一部改稿。PR